表彰式・作品レポート

■第1回子ども作文コンクール応募点数
ブロック 東日本 西日本 海外 合計
小学1~3年生の部 212 253 280 745
小学4~6年生の部 229 2051 237 2517
中学生の部 94 224 84 402
合計 535 2528 601 3664

2019年11月17日に、聖心女子大学聖心グローバルプラザ(4号館)ブリット記念ホール(渋谷区)にて表彰式を開催しました。第11回環境教育ポスターコンクール表彰式との同時開催です。

会場写真会場写真

第1部では、子ども作文コンクールの受賞者に表彰状と副賞が授与されました。会場には受賞作品が展示され、審査委員による講評も同時に掲載されました。

授与写真授与写真

理事長賞(最優秀賞)、学研賞の受賞者には、受賞した作文を朗読していただきました。

  • 【理事長賞】
  • 杉並区立浜田山小学校3年 石川 連也
  • 敬愛小学校4年 安田 悠真
  • 桜蔭中学校3年 大島 爽楽
  • 【学研賞】
  • 富山市立五福小学校2年 吉川 侑来
  • 関西大学初等部4年 森脇 茉菜
  • 宗像市立自由ヶ丘中学校3年 伊賀﨑 淳

※受賞作品全文はこちらに掲載しています

第2部では、環境教育ポスターコンクールの受賞者に表彰状が授与されました。作文もポスターも、自分の心の内面を深く観察し、個性あふれる手法で表現された素晴らしい作品でした。
式典終了後、両コンクール受賞者、審査委員の先生方、ご家族や学校の先生方、来賓の方々も一緒になって、記念撮影を行いました。

第1回子ども作文コンクール:受賞作品と審査員講評

※ポスターコンクールの受賞作品はこちらをご覧ください。

【受賞者一覧】※受賞者名をクリックするとその作文に移動します。

理事長賞 小学1~3年生の部 杉並区立浜田山小学校 石川 連也
小学4~6年生の部 敬愛小学校 安田 悠真
中学生の部 桜蔭中学校 大島 爽楽
学研賞 小学1~3年生の部 富山市立五福小学校 吉川 侑来
小学4~6年生の部 関西大学初等部 森脇 茉菜
中学生の部 宗像市立自由ヶ丘中学校 伊賀﨑 淳
入選 小学1~3年生の部 敬愛小学校 安田 彩乃
新潟市立下山小学校 鷲尾 琥雄
小学4~6年生の部 創造学園 浜の宮校 原  夏希
半田市立乙川東小学校 藤田 悠斗
中学生の部 広尾学園中学校 石井 優妃
広尾学園中学校 飯干  佳
海外賞 小学1~3年生の部 ダラス日本語補習校 小野寺 陽香
小学4~6年生の部 ビェンチャン日本語補習授業校 鈴木 蘭丸
中学生の部 デトロイトりんご会補習授業校 岡野 咲

■ 理事長賞

小学1~3年生の部

がいとう先生
杉並区立浜田山小学校 三年 石川 連也

 ぼくはべん強も体育も苦手で、色いろ自信がないけれど、一つだけとくいな事がある。それは図工です。
 でも、一年生の時とてもくやしい思いをしました。学校で一学年で一人だけえらばれる作品展に、自信作をおうぼしたけどえらばれなかった事です。ぼくはかなしくて、くやしくて、今までたった一つ光っていたぼくのキラキラがとつぜん消えてしまったような気もちになりました。
 そんな時、杉山先生が話しかけてきてくれました。ゆっくりぼくの話を聞いてくれて、
「作品を作っている時楽しかったかい?」
と聞いてきたので、ぼくは思い出しながらうなずきました。すると先生は、
「一つの作品を頭で考えて、それを形に出来るって事自体すごいんだよ。しかもそのと中を楽しんで出来るってかっこいいじゃないか。けっかより、と中をちゃんと学んで楽しめる気もちが大事なんだよ」
と話してくれました。
  ぼくはその時心にピカリと何かが光った気がしました。
 家で先生と話した事をお母さんに話すと
「たしかに良いけっかを出すのもすごい事だけど、そのと中、計算で言うなら式を考えてとく事を楽しめたら本当にすてきよね」
そう同じように答えてくれて安心しました。
 ぼくは先生に教えてもらった『と中』をしっかり考える事にしました。と中って実は楽しい事だけじゃない。色いろな気もちがあるけれど『けっかより、と中も楽しむ』事を思えば、それ自体も楽しめて、やりきる事が自信になってくる気がします。
 ぼくの心の中で、先生のくれた言葉はやさしく光っています。それは道のと中をてらしてくれる『がいとう』みたいです。がいとう先生いつも心をてらしてくれてありがとう。

【石川さんの作品に対する講評】

自信作じしんさくえらばれなかったくやしさ。自分のキラキラが消えてしまったようながっかりした気持ち。せんにもれてんだ気持ちを前向まえむきにあかるくしてくれたのは、杉山先生の「けっかより、と中も楽しむ」という言葉でした。この言葉は、連也くんがこれからの人生で困難こんなん出会であうたびに、「がいとう」のように、「やさしく光って」解決かいけつへの道をらしてくれるにちがいありません。連也くんの気持ちの変化へんか対比たいひがみごとに表現ひょうげんされていて、杉山先生への感謝かんしゃの心にじんわりとしみこんでくるような、すばらしい作文、理事長賞りじちょうしょうにふさわしい作文ですね。

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小学4~6年生の部

先生のなみだが教えてくれたこと
敬愛小学校 四年 安田 悠真

今年の四月、ぼくには、大切な出会いがありました。それは、担任の宗像先生に会えたことです。
 六月、ぼくは左うでを骨折しました。学校のバスに乗りおくれそうになって急いでいた時に、走って転んでしまったのです。地面で強打した左うでがいたくてたまらなかったけれど、ぼくは友達に支えられて、急いでバスに乗りこみました。すると、先生がすぐにぼくの様子に気づいて、かけ寄ってきてくれました。顔、体、ひざ、足・・・。体中を確認して、先生は最後に何度も、ぼくの左うでを確かめました。先生の顔が、みるみる青くなるのが分かりました。ぼくは、自分の体に何が起こったか分からずに、いたさとこわさでぶるぶるふるえていました。
 学校に着いてすぐ、病院に行きました。しんだんの結果は、左うでの骨折でした。学校にもどって、先生に元気いっぱいの笑顔でギプスを見せました。ぼくは、
「いたくないし、もう大じょうぶです」
と、伝えるつもりだったのです。でも、ぼくの姿を見た先生は、目になみだをいっぱいためて、何度も何度も、
「いたい思いをさせてしまってごめんね」
と言いながら、だきしめてくれました。ぼくはこの時はじめて、泣きそうになりました。こけた時も病院に行った時も泣かなかったのに、目がぐっと熱くなりました。ぼくは、自分がいたい時や悲しい時だけではなく、誰かを大切に思う時にもなみだが流れることを、先生から教わりました。先生のやさしさが、ぼくの心に広がっていくのが分かりました。
 ぼくの左うでは、今もギプスが巻かれています。ギプスを見るたび、ぼくは、先生のなみだと、あの時の温かい気持ちを思い出します。こんなにやさしい先生をもう二度と悲しませないように、四年生らしく、落ちついて行動していきたいと思います。

【安田さんの作品に対する講評】

「ぼくの姿を見た先生は、目になみだをいっぱいためて、何度も何度も、・・・」という表現から宗像先生のあなたへの思いが伝わってきます。さらに、その先生の思いを受けとめ、自分の行動を見つめ直そうとする安田さんの決心が窺えます。安田さんの内なる思いが読者の心をうつ作品となっています。

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中学生の部

忘れ去る事のない大切なもの
桜蔭中学校 三年 大島 爽楽

 「一番心に残っている先生」。私は所属している合氣道道場の師範、準師範の先生方のことを書きたいと思います。
 寒い冬の夜、私は道場で初めて先生方とお会いしました。当時、極度の緊張のため腹痛を起こしかけていた私を出迎え、優しく話しかけて下さった準師範。そして、素人である私にも理解できる様に、とても丁寧に技の説明をして下さった師範。お二人はまさしく、私にとって「尊敬している先生方」です。
 とはいえ、その頃の私は合氣道における「技の美しさ」といった物が全く解らずに(先生方はとても凄いのだろうな)と漠然と思っていただけでした。
 それから一年程経った一月のあの日。…一年の初の演武を行う日でした。前の演武が終わり、先生方が正面礼をなさった瞬間から、張りつめた、それでいてどことなく心地良い空気が道場中を満たしていくのを感じました。
そこからは全てが美しく、圧巻でした。木剣の合わさる音、かけ声、息遣い…。人間の木剣だけでここまで見る者を圧倒する事が出来るという事実、そして、この美しさを作り出されている方が尊敬する先生方であったという事。この二つの事実とその美しさに私は我を忘れ、ただ涙を流していました。
 先生方は普段の稽古はもちろん、他の分野についても深く教えて下さいます。稽古後に、理系の興味深いお話を教えて頂く事も楽しみの一つです。
 ある時、私はお二人に思い切ってこううかがってみた事があります。
「私は合氣道も含め様々な事を教えて頂いていますが、何一つご恩をお返し出来ていない様な気がします。どうすれば?」と。
「先輩からは受け取り、将来の後輩に与えなさい」
先生方が穏やかにおっしゃったこの言葉を、私は目の前の霞が一気に晴れた様な万感の思いで聞いていました。(もう迷わない)自然とそう思えました。
 これらの経験は、一生を通して決して忘れ去る事の無い物となるでしょう。先生方が教え、導いて下さった事を糧に、一生を歩んで行きたいと私は思います。

【大島さんの作品に対する講評】

合氣道の道場の空気に張り詰める緊張感が、作文用紙から伝わってきました。音、温度まで、行間から伝わってくる文章です。合氣道の技の美しさが、あなたの一部になっており、それが文章にも表れているのでしょう。合氣道の道場で、合氣道の技以上のことを学んでいることが文章からわかります。先生の言うように、そのことを、将来、誰かに伝えていければ、それはすばらしいことだと思います。私もあなたを見習いたいと思います。

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■ 学研賞

小学1~3年生の部

「月・水・金のたいよう」
富山市立五福小学校 二年 吉川 侑来

 「しょうじょうとったよ」
って、あそう先生に言いたいな。
「わぁ、ゆらくん、よかったね。先生もうれしい」
と、きっと、あそう先生は言ってくれるよね。
 ぼくは、元気がなくて、前までずっと、ほけんしつにいた。月、水、金は、あそう先生が、きてくれるから、じゅぎょうも行けた。休みじかんに、外に行けた。友だちもできた。
 あそう先生のいない日は、外であそぶのが、さみしかった。
 月、水、金は、みんなときょうしつで、友だちといっぱいべんきょうできた。それは、ずっとよこに、あそう先生が、あんしん出きるように見ていてくれたからって、今でもおもうよ。
 ほけんしつにいても、夏休みのおうぼさくひんや、お正月のさくひんコンクールに、ちょうせんしていたら、しょうじょうがとれた。うれしかったし、ビックリした。なんだか、スッキリもした。すぐに、あそう先生に言いたくなった。
 あそう先生は、ニコニコして、ずーっとずーっと、よろこんでくれた。
 しばらくして、ぼくは少しずつ、きょうしつですごせる日が、ふえていった。一人で、歩いて小学校に行けるようにもなった。だんだん、あそう先生とのじかんが少なくなった。
 三月のあるあさ、とつぜん、ぼくが花たばをあそう先生に、わたすことになった。あそう先生が、ちがう学校に行ってしまうからだ。
 さみしいけど、会いたいけど、話をしたいけど、ぼくを強くしてくれたのは、あそう先生だから。
 今、まい日、小学校に行って、ちょうせんもしたら、また、しょうじょうがとれたよ。

【吉川さんの作品に対する講評】

んでいるだけで、あそう先生のやさしさが、わたしまでつたわってきました。あそう先生に会いたいのに会えないあなたのさみしさも、じーんと伝わってきました。またあそう先生におしえてあげたい賞状しょうじょうがひとつえましたね。こうやってがんばっていれば、いつかあそう先生に会える日がるとおもいます。

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小学4~6年生の部

事実か解しゃくか
関西大学初等部 四年 森脇 茉菜

 「それは事実ですか、解しゃくですか」
 私のクラスの担任の小森先生は、クラスでもめ事があると、いつもこの言葉が登場する。実際に起きている事実なのか、受け手の側から理解したことなのか。事実と解しゃくは大きく違う。この言葉の意味が、はっきりと分かった事件が私に起きた。
 私の左耳は、一年くらい前からあまり聞こえていない。しかし、四年生になって、さらに左耳の聞こえが悪くなり、右耳もまた聞こえづらくなっていた。難聴と診だんされた。
 病院から帰ってきた夜、母が私にかくれて父に電話をしていた。私の視界からは、母の後ろ姿しか見えなかったが、いつもは堂々としている母の背中が、小さく丸くなっていて肩がふるえていた。泣いているとすぐに分かった。父は、いつも以上にやさしく、何かおかしい。
難聴という事実は、私の両親を悲しませていることが分かった。
 さて、私はと言うと、自分の気持ちがぐちゃぐちゃで、よく分からなかった。
 その時、
「それは事実ですか、解しゃくですか」
と言う、小森先生の言葉が、頭の上の方から落ちてきて、心の中にストンと入ってきた。
「そう言うことか」
 事実は変えられない事だけど、解しゃくは自分しだいでいくらでも変えられる、無限大なのだ。だったら、解しゃくは良い方に理解した方が、ぜったいに良い。だから、私は難聴のことを悲しまず、今普通に生活できているから大じょうぶと解しゃくすることにした。えがおで過ごそうと思った。
 私はこれから生きていく中で、たくさんの事実に出会う。その時、私の解しゃくがとても大切になる。先生の言葉は、私の心の支えとなって、私の心の中で生きていく。
 大切なことを教えてくれた小森先生に、感謝の気持ちでいっぱいだ。

【森脇さんの作品に対する講評】

文章構成力の高さ、感情表現の言葉選びの巧みさが光る作文です。娘が難聴であることがわかったときの母と父の悲しみ、自分の悲しみよりも父母を悲しませたことはもっと悲しい。「ぐちゃぐちゃ」な気持ちの茉菜さんは小森先生の「事実か解しゃくか」の言葉に救われます。「難聴という事実は変えられなくても、解しゃくは変えられる。今生活できているから大じょうぶ」と前向きになれた茉菜さんは素晴らしいですね。「先生の言葉は私の心の支えとなって、私の心の中で生きていく」の文に決意と感謝の気持ちが余すところなく表現されていて感銘を受けました。

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中学生の部

ありがとう、先生
宗像市立自由ヶ丘中学校 三年 伊賀﨑 淳

 公民館に入ると、パチパチと珠を弾く音、タイマーの鳴る音、一切の静寂。その中央に僕達生徒を真剣な眼差しで見つめる先生がいる。小学校の時から変わらない、いつもの光景だ。よし、やるぞと僕にスイッチが入る。
 小学三年生の時から、僕は近所の珠算教室に通い始めた。正直言ってその時僕は、珠算を習う事に乗り気ではなかった。今でこそ大分落ち着いてはいるが、僕にはADHDがあり、集中力や注意力を養わせるために、半ば強制的に入れられた。
 しかし、そんな「入れられた」感はすぐに無くなった。一見厳しそうな先生は、ユーモアがあって指導も分かりやすく、そしてとても優しかった。僕が習い始めの頃に、
「そろばんたのしい」
と母に伝えた時、母がとても嬉しそうで、そしてホッとした表情だった事をおぼろげに覚えている。高学年の時に知ったのだが、ADHDがあると伝えると、入会を拒否された習い事があったそうなのだ。それを全て分かった上で僕を受け入れてくれたのが、今の珠算教室の先生なのだ。
 昨年の十一月の検定試験日、僕は試験会場を間違えるというとんでもないミスをやらかした。事前に先生からも注意があり、受験票にも記載してあったのに。先生に電話したが、試験時間には間に合わず、受験を断念した。検定以前の問題だと、母にひどく怒られた。
 次の珠算の日、僕は先生に謝りに行った。叱られるか、笑われるか、と覚悟して行ったが、先生の言葉は意外なものだった。
「試験、待ってあげられなくてごめんね」
先生は本当は僕が受けられるように配慮したかった事を話してくれた。完全に自分のミスなのに。叱られるよりもずっと僕の心にずしんと響いた。それ以来、検定はもちろん何事にも事前確認を行うようにもなった。
 珠算の腕は僕は全くだが、それでも珠算を続けて行きたい。石川先生の生徒でいたい。

【伊賀﨑さんの作品に対する講評】

「完全に自分のミスなのに。叱られるよりもずっと僕の心にずしんと響いた」は、石川先生の思いを知った淳君の気持ちが「ずしんと」伝わってくる文です。作文の完成度、冒頭のそろばん塾の情景から始まり、検定試験時間の勘違いで受験できなかった事件へと展開させ、石川先生への感謝の念で締めくくるまでを息をつかせず読ませる文章力に驚嘆しました。石川先生の「試験、待ってあげられなくてごめんね」の言葉は、「人生訓」として、先生への感謝と敬意を伴って、淳君の心に深く刻まれ、将来にわたって淳君を支えてくれる言葉になるでしょう。

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■ 入選

小学1~3年生の部

わたしのだいすきなせんせい
敬愛小学校 一年 安田 彩乃

 わたしは、さんすうがだいすきです。りゆうは、とねせんせいが、いつもやさしくおしえてくれるからです。
 とねせんせいは、わたしのじゅくのせんせいです。じゅくがあるひは、がっこうできゅうしょくをたべているときから、わくわくします。じゅくにいったとき、せんせいが
「よくきたね」
といってくれると、がっこうであったかなしいことも、わすれてしまいます。うれしいことがあったときは、はやくせんせいにあって、おしえてあげたくなります。
 さんすうのもんだいは、むずかしいものもあります。わたしは、たしざんはとくいだけど、ひきざんはすこしにがてです。わからないもんだいがでてきたときは、むねがどきどきして、かなしくなります。ないたら、プリントをよごしてしまうとわかっているけど、なみだがとまらなくなってしまうのです。
 このまえも、むずかしいもんだいがでてきました。くりさがりのあるひきざんが、どうしてもできなくて、わたしは、またなみだがでてきました。そのとき、せんせいがせなかをなでてくれました。せなかとこころが、ほかほかあたたかくなりました。せんせいが、 「よくがんばっているよ。一のくらいからひけないときは、おとなりのくらいから、十かりてみて。いっしょにがんばろう」
といってくれました。せんせいのいうとおりにしたら、ほんとうにできました。わたしはうれしくなって、せんせいをみました。せんせいが、にこっとわらってくれました。わたしは、もっともっとうれしくなって、なみだもどこかにとんでいってしまいました。
わたしはこれからも、とねせんせいといっしょに、さんすうをがんばります。むずかしいもんだいにもチャレンジして、せんせいにみせてあげたいです。

【安田さんの作品に対する講評】

算数さんすう問題もんだい一生懸命いっしょうけんめいんでいる様子ようすがよくつたってきます。また、安田さんにとって「とねせんせい」の存在そんざいおおきいことも「せなかをなでて」「にこっと」など とね先生せんせいとらえた様子ようすからうかがうことができます。きっと安田さんの頑張がんばりは、とね先生にもとどいているとおもいます。

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あん心のカメラ
新潟市立下山小学校 三年 鷲尾 琥雄

 「あー、またよくないね」
と先生が言う。
 ぼくには、二才のころから通っているびょういんがある。そこのいん長先生が、川さきまさる先生だ。
 ぼくは、はなのちょうしがよくなくて、ねている時にいきが出きなくなることがある。だから、先生にみてもらって、お薬をもらう。そして、お薬をのんでもよくならないと、はなにカメラを入れて見てもらう。ぼくは、このカメラが大きらいだ。正じき、見るのもいやだ。カメラを入れなくてすむなら、弟のめんどうを百時間みてもいいし、一生おかわりなしだっていい。それなのに先生は、
「大丈夫。こおくんより小さい子もがんばっていたよ」
  と言ってわらう。ぼくは、すかさず、
「その子はその子、ぼくはぼくだ」
と言った。
 でも、ぼくは、あきらめてカメラをすることになる。だって、となりにすわっていたお母さんが、おにのような顔で、ぼくをにらむんだ。
 カメラがおわると、ぼくはキッズコーナーで、お会計を待つ。待っていると、先生は、びょうきの人の所へ、行ったり来たりいそがしそうだ。お母さんがもどってきて、ぼくにこう言った。
「先生がいてくれてよかったね」
 ぼくには、何がよかったのか、よく分からなかった。だけど、つらそうにしている人が先生と話をすると、みんなあん心したようにわらう。先生は、ぼくの学校のけんこうしんだんで、ぼくを見つけると、遠くから手をふってくれる。その時、ぼくはすごくホッとする。きっと、そういうことなんだって思う。
 ぼくの先生は、つらい思いをしている人をえがおにできる、すごい先生だ。先生、いつもありがとう。ぼくも、先生のように、こまっている人に、あん心をあげれる、そんな大人になります。

【鷲尾さんの作品に対する講評】

あなたがどれだけカメラのことをきらっているか、でもそれ以上いじょうにどれだけお母さんのにらむ顔がおそろしいのか、かぶようです。ついでに、おとうと面倒めんどう大変たいへんなことも。この作文さくぶんから、病院びょういんでのことだけでなく、毎日まいにち生活せいかつが目に浮かびます。そしてその先生がみんなに安心あんしんあたえていることにづけるなんて、すごい。それをよくえがけていると思います。ところでその先生は、みんなに安心を与えられるだけでなく、どもにゆめを与えることができる先生なんですね。

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小学4~6年生の部

才能に気付かせてくれた先生
創造学園 浜の宮校 小学六年 原 夏希

 私はいつも「私ってダメだな。才能ないな」と、自分のことを否定ばかりしていました。なぜなら、私は小さい時から、いろんな習い事をしてきたけど、後から入った人に、どんどん追いこされてばかりだったからです。
 そんな私が、自分でも気が付かなかった才能に気付くことができ、夢を持つことができたのは、そろばんの先生のおかげです。先生のほめ言葉のおかげで、私は自分が大好きになりました。
 一番心に残っているのが、私が珠算能力検定の六級に合格した時です。六級に合格するのに、一年以上かかりました。何度受けても落ちるので、もうやめてしまいたいと思っていました。でもにげたくはなかったので、自分なりに一生けん命がんばって、なんとか合格できました。その時に先生が、私とお母さんに、「なっちゃんは、本当によくがんばりました。毎回一番最初に教室に来て、最後まで弱音をはかずに集中して、そろばんをはじいてましたよ。お母さんも、なっちゃんが、コツコツ努力したことをほめてあげて下さいね。努力も才能のひとつです」と言ってくれました。横にいたお母さんを見ると、うれしそうに涙をうかべていました。私は、つらいけど、がんばってよかったと、心から思いました。あれほどやめたいと思っていたそろばんが、大好きになりました。そして、私はダメな子ではない。苦手な事もコツコツと努力するのが私の才能なんだと、気付けたのです。
 これからもずっと、先生からそろばんを習い続けたいと思っていましたが、去年の夏、先生は、とつ然倒れて、亡くなられてしまいました。今でも思い出すと、悲しくなるけど、私には薬ざい師になるという夢ができたので、その夢に向かって、毎日コツコツと努力して、がんばろうと思います。

【原さんの作品に対する講評】

自分の才能なんて、なかなか見つけることができません。でも、原さんは、「努力も才能の一つです。」といっていただいた言葉によって、見えなかった自分の才能に気付くきっかけになったのです。先生は亡くなられたそうですが、かけていただいたその言葉がこれから生きるうえで支えとなってくれるに違いありません。

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世界一の愛先生
半田市立乙川東小学校 六年 藤田 悠斗

 「愛先生」、僕が一番信頼・信用できる、昨年と現在六年生のクラス担任の先生です。
 僕は、一年生の二学期から、時々学校へ行けなくなることがあります。学校へ行けなくなると、「なんで来られないの?」「明日は? いつから来られる?」「保健室で過ごしてもいいから来て」と学校の先生は必ずそう言います。でも、自分でもわからないから答えられず、保健室登校をしても教室に連れていかれました。
 僕は、急な予定の変更や変化が苦手ですが、全然わかってもらえず、呆れられることもありました。同級生と何かあっても、相手の言い分だけを信じ、僕のことは信じてもらえないことがありました。とても苦しく、辛い時期が、四年生までは時々ありました。
 でも、愛先生は、こんな僕を理解し、受け入れてくれます。僕の話を聞いてくれます、信じてくれます。いつも気にかけてくれます。僕が学校に行けなくなっても、不安で一杯になっても、優しく安心する言葉をかけてくれます。同級生と何かあっても、互いの言い分に耳を傾け、悪いところはビシッと叱ってくれ、どうすれば良かったのかアドバイスをくれます。嫌がらせを受けてもすぐに対処をしてくれ、クラスで話し合いをしてくれたこともありました。
 僕は学校が楽しくなく、学校に行く意味も目的も全くわかりません。教室に嫌な空気が充満している気がして、教室に入りたくありません。本当は、学校に行きたくないのです。
 けれども、僕は学校に行きます。僕を見守り、待っていてくれる愛先生がいるからです。学校や先生にとって、僕は迷惑な存在なのだ、とずっと思っていました。でも、愛先生と出会ってから、僕が学校に行っていい、学校にいてもいい存在なのだ、と思えるようになりました。愛先生には、いつも感謝で一杯です。愛先生、いつもありがとうございます。愛先生は、世界一のとてもすばらしい先生です!

【藤田さんの作品に対する講評】

学校のことを好きではない理由がよくわかりました。それをこうやって言葉にできることはとてもすばらしいことです。人生のなかにはときどき嫌なことも起こりますが、こうやって言葉にして表現できることは、自分を守る盾になります。愛先生のような存在を、「ありのままを受け入れてくれるひと」といいます。愛先生のようなひとがひとりでもいると、この世界はとても生きやすくなります。あなたもいつか、誰かにとっての愛先生になってください。

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中学生の部

さちこ先生へ
広尾学園中学校 一年 石井 優妃

 ピアノのレッスンの帰り道、母が言った。「とても言いづらいことだけどね…。さちこ先生がこの間亡くなったわ。ガンだったそうよ」――。一瞬、私は頭が真っ白になって、自分の目の前の世界がカチッと止まった。私はそのまま、さちこ先生と過ごした日々を思い出す。
 私は三歳からピアノを習っていた。そのとき私を教えてくれた人が「さちこ先生」だった。ある雪の日。私は冷えた手に息をふきかけながら、レッスン教室に入った。さちこ先生はもうピアノの椅子に座っていて、いつものやさしい笑顔でむかえてくれた。そして、私の手を「こんなつめたい手じゃ、ピアノが弾けないねー」なんて言って、もんでくれた。そんなさちこ先生の手はとても小さくて、そして「あったかかった」。ある風の日。私はピアノが思うように弾けなくて、やけになっていた。だんだんと弾き方が雑になり、音もあまり響かなくなってしまった。そんなとき、さちこ先生は静かにこう言った。「何事もあきらめない。努力し続けることが大切なんだよ」と。その一言で私は変わった。ピアノにしっかりと向き合い、コツコツ練習をするようになれた。そんなときも、さちこ先生の言葉は小さくて。そして「あったかかった」。そう。さちこ先生はいつも小さくて、弱そうで、でも、「あったかかった」んだ。
 しかし、さちこ先生が亡くなった今、また「あったかさ」をもらうことはできない。苦しい時、悲しい時に私をささえてくれたそれは、もうないのだ。
 だったら、だったのなら、私が今自分で出来ることをあきらめずに頑張ろう。曲に自分の気持ちを、思いを込めてピアノを弾こう。私が自分で「あったかさ」をつくろう。そして、そして、その「あったかさ」を、私の曲を聞いている全ての人に耳で、目で、心で感じてもらえるようになりたい。
 そう思って、私はまた歩き始める。

【石井さんの作品に対する講評】

「小さくて、弱そうで、でも『あったかかった』」先生との幼い時からのつながりが大切な思い出として心の中に位置づいていることが伝わってきます。先生からの教えは、技術や精神論ではなくピアノを弾く上での曲への向き合い方に生きていることが素晴らしいです。

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笑うから幸せになるんじゃ。
広尾学園中学校 一年 飯干 佳

 「佳ちゃん、毎日楽しいでしょ」ガヤガヤした教室で、ちょっとドヤ顔で、そう言われた。私は、それに思いっきりうなずいた。
  私の本性を引き出して、人生を変えてくれたと言っても過言ではない先生。優しくて面白くて明るく、たくさんのことを教えてくれる、太陽のようなK先生が大好きだ。口数が少なく、感情表現も少なかった私は、先生と過ごす楽しさで目が覚めたのだ。
  ある日、先生は私たちに、「ダンボールハウス作らない?」と言った。家の構造を考え、ダンボールと木材、ねじを使って組み立てていく。クラスには、工作が好きな子も、電動ドライバーを使える子も、ダンボールカッターも知らない子もいた。それでもみんなで教え合い、話し合って作り上げていった。そうしてダンボールハウスは、誰でも利用できるみんなの居場所となった。
  また、先生は「いくさ」という遊びも教えてくれた。二チームに分かれ、全員がボールを持つ。ボールを当てて相手を全滅させるか、相手の陣地に置いてあるコーンを取れば勝ち、という遊びだ。これは、球技が苦手な人にも役割があり、全員が活躍できる。そして何より、「いくさ」は楽しく、私たちはたくさん遊ぶようになった。
  先生は、他にも色々な遊びや技術を教えてくれた。そして、その多くに共通する『勝つ・創り上げる』コツは、『楽しみ、声を掛け合い、話し合って情報を共有する』ことだ。
  それまで淡々と日々を過ごしていた私が、たくさん喋るようになり、たくさん友達ができるようになったのは、K先生が教えてくれた『楽しみ方』と『協力し、声を掛け合うことの大切さ』のおかげだ。「笑うから楽しい」この言葉は、先生と過ごす中で私が学んだ、最も大切なことだと思う。また会って話したい。先生、大好き!

【飯干さんの作品に対する講評】

こんな教室で学び、生活することができたら笑顔になり、友達だってできるに違いない。そんな学級や先生の姿を短い文の中で生き生きと紹介してくれました。「協力し、声を掛け合う」ことは、言葉では簡単そうだけどどうすればいいのか実際に実現するのは難しい。でも「笑うから楽しい」ことから生み出すことができたらいいですね。

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■ 海外賞

海外日本人学校等からの応募作品に贈られる賞です

小学1~3年生の部

わたしのスーパーヒロイン、ハンセン先生
ダラス日本語補習校 小学三年 小野寺 陽香

 わたしの中のスーパーヒロインは、げん地校のESLのハンセン先生です。先生はいつもやさしくて、わたしがこまったら、すぐにたすけてくれます。
 げん地校が始まってすぐの九月、わたしはライティングができなくて、たんにんの先生におこられてないてしまいました。どうしたらよいか分からなくて、かなしかったです。でも十月になると、たんにんの先生がESLのハンセン先生をよんでくれました。ハンセン先生はわたしのために教ざいを用意してくれたので、少しずつ書けるようになってきました。
 そして二月、バレンタインデーの作文で、「わたしのすきな人」という題名でハンセン先生のことを書きました。正しいえい語で書くのはむずかしかったですが、先生がたくさんの言葉を教えてくれる事、「いいのよ、ベストをつくして」とまちがえてもはげましてくれること、そして、いつもたすけてくれて安心できることを、先生が大すきだという気持ちをこめながら書きました。そしてバレンタインデーの日、学校のろう下にクラスのだい表として、わたしの作文がはられていたのでおどろきました。そしてとてもうれしかったです。
 学年まつの五月、かんしゃの手紙を先生にわたしました。すると先生は、一番うれしい手紙だというコメントを書いてわたしの手紙を学校のツイッターにのせてくれました。はずかしかったけれどうれしかったです。
 わたしは、ハンセン先生に教えてもらってえい語ができるようになり、うれしくて、少し自しんも持てるようになりました。わたしはしょう来ESLの先生になりたいです。えい語を話せない人にえい語を教えて、ハンセン先生のようにその人をはげましてあげたいです。

【小野寺さんの作品に対する講評】

こまったとき、つらい時に教材きょうざいを用意してくれたことやはげましの言葉をかけてくれたこと。勇気ゆうきるようなささえをもらうことができたことなど、ハンセン先生とのかかわりが具体的ぐたいてきに書かれています。自分じぶん将来しょうらいのお手本てほんになるような先生との日々ひび素晴すばらしいかさねになったことがつたわります。

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小学4~6年生の部

T・G
ビェンチャン日本語補習授業校 小学六年 鈴木 蘭丸

 “Please die quietly.”
ぼくが授業中に突然むせて、ゴホゴホと大きなせきをしていたら、ジェラルド先生が言ったせりふだ。日本語に訳すと、「静かに死んでください」なんて、ちょっとひどい感じがする。けれどもそれを言われたぼくは、おかしくてゲラゲラ笑ってしまった。酸欠で本当に死んでしまうところだった。
 ぼくは四才の時にラオスに来てからずっと、モンテッソーリー方式の学校でこのジェラルド先生に教えてもらっている。Teacher Gerardなので、ニックネームはT・Gだ。ラオスに長く住んでいるのに、マンゴーやパイナップルのようなぼくが好きな南国フルーツが苦手だ。T・Gのしゅ味はバイクでラオスの山に行くことだ。途中で財布を落としたり、転んで骨を折ったり大変な目に合っているのに、「あと二ヶ所でラオスは制はだ。」
なんて言っている。
  T・Gは勉強を教えてくれるのが上手で、いつもじょうだんを言って、ぼくたちを笑わせてくれる。先生が楽しいと、勉強することも楽しくなる。でもT・Gはおこると本当に怖くて、まるで別人のようだ。先日、給食の時間に低学部の女の子がものすごくさわいで、T・Gをおこらせた。あまりのはく力に、ぼくまでおこられているような気持ちになって、その日のメニューは大好物の焼豚だったのに台無しになってしまった。当の女の子はT・Gのお説教を「聞いて」いたはずなのに全く「効いて」なくて、またすぐにT・Gをおこらせていた。
  ぼくは次の学年から別の学校に移ることになったので、T・Gと毎日会える楽しい日はもうすぐ終わってしまう。T・Gと一緒の残りの一ヶ月半を大切に過ごしたい。最後にものすごくおもしろいジョークを言って、T・Gを死ぬほど笑わせたい。

【鈴木さんの作品に対する講評】

冒頭のT・G先生が発した言葉が印象的かつ「T・Gを死ぬほど笑わせたい」という結びを関連づける巧妙なリードとなっており、読者をひきつける表現になっています。このような表現ができるのも鈴木さんがT・G先生のことが「大好き」で常に見ているからだと思います。その思いが各所に見られます。最後のジョークで「T・Gを笑わせたか」知りたいです。

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中学生の部

「母」という私の人生の先生
デトロイトりんご会補習授業校 中学二年 岡野 咲

 雲外蒼天。この言葉は、まさに私の母を表す言葉だ。母は、私に人生の大切な事を教えてくれるかけがえのない先生だ。優しく、そして力強く生きる姿はいつも私を励まし、勇気づけ私の歩く道をまっすぐに照らしてくれる。
 母はとても努力をして米国で障害のある子供たちの先生になった。だが、この仕事は想像をはるかに超えるとても過酷な仕事だ。子供達は怒ったり、泣いたりすることがよくあるという。時には、擦り傷などを負って帰ってくることもある。だが、大変なはずの母はいつも笑顔で、
「今日も楽しかった。子供たち、すごくかわいかった」
と満面の笑顔で言う。私はとても大変な仕事なのになぜそんな風に笑顔でいられるのか聞いてみたことがある。すると母は、とても澄んだ目で、
「障害があってもなくても、子供たちは皆同じ。沢山の可能性を秘めている。だからどんなに大変でも、前向きに子供たちと関わりたい」
と言った。その言葉はとても力強く希望に満ちていた。
 毎年、私はスペシャルオリンピックという障害をもつ子供たちの運動会でボランティアしている。そこで目にするのは、笑顔で懸命に子供たちに寄り添う母の姿だ。その姿に私はいつも感銘を受け、一生忘れることはないと思う。
 今では元気な母だが、闘病をしていた時がある。そんな時でも、子供達への思いを力や希望に変える姿に、私は真の人としての強さを見た。私がいつもくじけそうになると、母は必ずこう言う。
「希望をもっていつも諦めなければ、必ず道は開けるよ」
雲外蒼天。この言葉は試練を乗り越えた者だけに美しい青空が広がるという意味だ。まさに私の母のように。

【岡野さんの作品に対する講評】

母親の生き方を象徴する「雲外蒼天」を提示し、それを表すエピソードを展開する表現は、読み手を引きつけるものとなっています。また、母親の様子を描きながら、岡野さんの母親を誇りに思う気持ちから、生き方を見て、「自分もそうありたい」と今後の自分の生き方の目標となるような思いも感じとれる作品です。

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